2014年3月11日火曜日

「生きなくちゃ」の声が届いて

先程、恩師T先生から電話をいただきました。
弱々しい声で名乗られ、一瞬どなたか分からなかったのですが、声の主が
2年ぶりにお話しするT先生と分かり、びっくりしましたし嬉しかったです。

T先生は齢92歳、ここまで何の大きな病気もせず、元教師としての凛とした
たたずまいと生活を続けてこられ、私とは高校卒業以来、40年ほども
年賀状のやりとりが続いています。

今日のお電話は「3月22日からの木版画の個展の案内状が届いたけれど、
今回は伺えそうにないわ」ということをお伝えくださったものでした。

生徒の開く個展にも足繁く通ってくださる先生でしたが、昨年、老人性のうつに
なられ、長期入院の後、よくなられた矢先に転倒による尾てい骨骨折で
今はお部屋の中を歩くのが精一杯とのことでした。

その1年間のできごとを語る口調が時折もつれ、お話の内容も死を覚悟なさった
ことなど、私のよく知る先生からは想像できないようなものだったので、内心
動揺している自分がいました。

うつの治療のために入院した病院での周囲の方の様子、何もやる気がでなくて
生きるのと死ぬのだったら、どちらが楽かというようなことばかりを考えていた
入院生活だったそうです。

それでも、どこかでこのままミキサー食を流し込まれているのは嫌だと思って
せめておかゆと梅干しが食べられるようになりたいと考え、そこから『生きる』
ことを選んだというお話をなさるあたりから、徐々に元気な先生が戻ってこられた
気がしました。

「今回の個展はさすがに7ヶ月も外に一歩も出ていない自分には行けないけれど
来年の4月にまた個展があるのなら、そこまで頑張って生きて、必ず伺うわ」と
約束してくださったのです。

92歳で何の内臓疾患等の病を抱えていない先生が、思いもかけず襲われた
老人性うつ。

精神的な病は一時は生きる気力を奪い、人を死の淵へとぐいぐい引っ張って
いったそうですが、何とか踏みとどまって、今は「生きなきゃならなくなったから、
私、頑張るわ」と心強い言葉で話してくださいました。

その言葉を聞いて安心した私は
「個展がおわった4月に先生にお目にかかりにいっていいですか」と約束を
取り付け、電話を切りました。

人は何をよすがに生きるのか、人はどう生きてどう死ぬべきか
大きな命題を抱えて一生懸命生きていらっしゃる先生。

私なんぞの個展を生きるよすがにしていただくのはおこがましい話ですが、
その大きな存在で人生の先輩としていろいろ教えてほしいと思うのです。

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